ハウルの動く城 (※一応、ネタバレ注意)

もはやジブリ作品は、まさに「ジブリ作品である」という出自のみで
日本人の多くに癒しのノスタルジーを提供できる境地にあるに違いない。
ノスタルジックな題材・世界観を描いていたジブリ作品だが、
それとともに生きてきた我々にとって、
その「ジブリ的世界」そのものがもはやノスタルジーの対象なのだ。


それが冷静な作品鑑賞態度じゃないのはわかっちゃいるけど
冒頭の数シーンで魔女宅やら紅の豚やらを思い出しちゃったら
それだけで感動の世界に足の指3本位は引き込まれてるってこと。
作品の内容・質はどうあれ、そのノスタルジーだけで
この映画を観るカタルシスの半分ぐらいはかなえられているというわけだ。


で、僕らにとってのジブリ作品のカタルシスの残り半分は、
もちろん
ちょっとインテリぶった作品の「メッセージ性」論やら、
メタファリックでマニアックな「深読み」やら
「宮崎アニメは死んだ」的な批判やらにあるわけで
ご多分に漏れず僕もそっち半分にちょっと手を出してみたいわけだ。


巷で言われていた通り、登場人物たちの
心情描写に若干杜撰なきらいがあることは否めない。
最たるものは主人公ソフィーのそれで、
とばっちりの呪いで90歳に→家出してハウル家におしかけ掃除婦(前向きにもほどがある)
自分に呪いをかけた荒地の魔女を応援→挙げ句の果てには介護(聖人かおのれは)
というか、空中散歩したぐらいでどれだけハウルにゾッコンやねん……(顔がタイプだったのか?)
と、彼女の心理はちょっと常人にはついていけない域に達している。*1


ハウルが押し掛けたソフィーを城に置いた理由も、
終盤になって実は昔会っていた(「未来で待ってて!」のアレ)ことがわかって
ようやく説明された(ような気がする)けど、そこまで置いてけぼり。
いろんな人の思惑がわからないままストーリーが進行するので
余計なところで思考にストレスがかかったのは、事実。
その結果、例えばソフィーがサリマン先生に
「彼は自由に生きたいだけ!」と反論しても
ハウルの人柄すら掴めていない観客としては、
「お前にハウルの何がわかんねん!」
と突っ込まずにはいられない……例えば、ね。


その状態で、戦争やら介護やらのテーマを詰め込むから
話がさらにこんがらがってくるので、
勝手に自分なりのメタファーを立てて、
筋をわかりやすく読み直してみることにしました。
以下が、俺の考えたトンデモハウル論。
異論反論一切受け付けません。


ハウルは、自身もヤク中のヤクの売人。*2
組を点々とし、今は個人でやっている。*3
そんなハウルに惚れてしまったソフィー。
多額の借金を押し付けられ風俗嬢をやっていた。*4
「あなた、このままじゃダメになるわ」(ソフィー)
ハウルに薬から足を洗わせたいが、
元締めのカルシファーとの契約を破ると
きっとハウルの命が狙われる。*5
弟分のマルクル、そしてソフィーの生活のためにも
ハウルは薬の売人をやめるわけにもいかない。*6
抜けた組からも追われている。*7
そんな状況からヤクを使いすぎたハウルは深刻な状況に。
「やばいよ、やりすぎだよー」(カルシファー
見かねたソフィーはハウルの留守中に勝手に夜逃げ。*8
そしてひょんなことから、元締めとの契約の秘密を知る。
以前から元締めにもうまく取り入っていたソフィーは
うまく元締めを言いくるめて、ハウルの契約を無効にすることに成功。
ハウルもソフィーも足を洗って、ハッピーエンド。


いやぁ、ヤクの売人の話だったんですね、これは。(たぶん違う)
でもこういう強引な解釈をすると、ちょっと話が見えてくる
……ような気がするのは僕だけでしょうか。


蛇足だけど我修院の声は本当によかったと思う。
キムタクも声すごく色っぽかったと思う。
だけど一番素敵なのは、やっぱり加藤治子だよね。
サリマン登場のシーンで、アドレナってしまったよ。

*1:特に惚れる過程の端折り具合にブーたれていたのだけれど、よくよく考えると恋に落ちるとはそもそもそういう物だ、という気もしないでもない。無粋なのは俺か

*2:魔法=ドラッグ

*3:組=サリマン組/荒地の魔女

*4:呪い=借金

*5:心臓を握られているので

*6:魔法で戦わないと家を守れない

*7:サリマンの追手

*8:家を捨てての引っ越し